2.14【1年3組】
「あ、カシウス。それ何スかー?」
「え?」
聞き耳が示したものは、教室に入ってきたカシウスが通学バッグから教科書を出すときにちらっと見えた水色の箱だった。小ぶりの箱で細いシルバーのリボンが巻かれている。
それが何であるかを聞き耳は予想していた。今日はバレンタイン。好きな人、恋人にチョコレートを送る日。基本的に乙女思考のカシウスのことだ。例え一週間前からこの日のために計画を練っていたとしても不思議ではない。恐らく今日は多くの女の子に集られるであろう彼の恋人への贈り物だろう。
含みを持たせた視線でカシウスを見れば、彼はなんてことなしにそれを手に取り首をかしげた。
「……なんか、もらった」
「は?」
「……知らない子から。朝、電車で、いつも見てたとか言って」
「もらった? じゃぁ、それカシウスが作ったんじゃないんスか?」
聞き耳の言葉にカシウスは侮辱されたような顔をした。
「……なんで俺が作んなきゃいけないの」
「だってブルータスにあげないんスか?」
露骨に眉をひそめて、水色のかわいらしい箱をバッグに乱暴にしまうとカシウスは聞き耳に凶悪な視線を向けた。
「だから、なんで、俺が! チョコを上げるのは女の子のすることだろ」
「はぁ……まぁいいッスけど」
なぜか激高しだしたカシウスに半ばあっけに取られながら、聞き耳はこの話題を終了させた。自分で聞いといてなんだが、とは思うが、ほんの少し安心したような気持ちになるのは不可抗力というものだ。
ふん、と鼻を鳴らしてカシウスは椅子に座り、足を組んで上目遣いに黒板のあたりを睨みつけた。彼の中では自分が女扱いされたことが相当に気に食わなかったらしい。
その時、近づけば噛み付きそうなオーラを放っているカシウスの肩を叩いた勇気あるものがいた。
「カシウス! おはよ」
「あ……ブルータス。おはよう……」
教室に入ってくるなりそのままカシウスの机に直行してきたブルータスは、見るもの皆を笑顔にさせてしまうような屈託のない笑みをカシウスに向けた。対してカシウスもさっきまでの険悪なムードはどこへやら、笑顔を隠しきれないといった様子である。
聞き耳は彼の変わり身の早さに思わず呆れのため息を吐いた。
ブルータスが聞き耳に気がつき声をかけた。
「聞き耳、おはよ! なんかいやーな顔してない?」
「……全く勝手にやってろって感じッスね」
「はぁ?」
人の気も知らないで、とはさすがに言えない。
不思議そうに目を瞬かせつつ、ブルータスはカシウスの机に自分の鞄を置いた。
それから鞄を開けて、まず取り出したのはピンク色の袋、それからハート型の箱、赤いリボンで飾られた透明な小袋(カラフルなチョコの包み紙が見える)、高級そうな黒い薄い箱。
それらを順々に机に並べ始めたブルータスを、カシウスはぽかんと口を開けて眺めていた。
(なんて空気の読めない奴……/汗)
その様子を隣で見つつ、恋人のモテっぷりをいきなり披露させられたこの涙腺弱男は例のごとく泣き出すんじゃないかと危惧する聞き耳だった。
「あ、あった、あった」
スカイブルーの鮮やかな色合いの、ちょうど文庫本くらいの大きさの箱を取り出して、ブルータスは目の前に掲げた。箱よりも濃い青のリボンが十字の形で飾っている。
「はい、これ」
「……え?」
「えって、お前にだよ。今日はそういう日だろ」
「……俺に? それ、誰から?」
「お、れ! 当たり前だろ!」
そう言ってカシウスにそれを押し付けると、ブルータスは他のチョコをバッグにしまい始めた。
カシウスはといえば、困惑した瞳でそれを眺め、ついで聞き耳のほうに向き直り助けを求めるような瞬きをする。
HRの始まりを告げるチャイムがなり、ブルータスはカシウスに向かって「あとでな」と言うとバッグのファスナーを開けたまま急いで自分の席に戻っていった。
まだ担任は来ていない。カシウスは聞き耳の肩をつついた。
「何スか」
「……ど、どうしよう……」
「知らないッスよ! さっきもらったとかいってたやつあげれば」
「そんなこと、できない……。あぁ、まずいよ。俺用意してない」
「変なプライドの所為ッスね」
「ねぇ、俺用意したほうがいいよね? 買ったのでいいかな? あ、ブルータス、スニッカーズ好きなんだ。あれでいいかな? ってゆうか今日のお弁当あげようか。ってゆうかむしろ返す? ねぇ、どうすればいいかな………」
「混乱しすぎッス! もらったんだからホワイトデーに返せばいいじゃないッスか」
「あ、そうか。そっか、そうだよね。……あぁ、よかった。ホワイトデーに感謝だ」
そう言って胸を撫で下ろすカシウスを見ながら聞き耳は本日二度目の大きなため息を吐いた。
(なんでこういうときに頼られるのは俺なんスかね……)
さっきまであんだけ凶暴な目をしてたくせに、今度はすがるようないじらしい瞳を見せる。その気がないなら頼ったりして弱い面を見せないで欲しいのだけど。
まさに飴と鞭。いつかの自分が提案した作戦に、まんまと嵌まっていることに気がついて、だが気がついたところでどうしようもなく、聞き耳はガシガシと頭をかいた。